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2006.10 リニューアルオープン


歌舞伎座 吉例顔見世大歌舞伎
11月1日(金)〜25日(月)
昼の部 「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三」 手代忠七
梅枝丈 お熊
夜の部 「江戸女草紙〜市松小僧の女」お千代
   梅枝丈 娘お雪      
     萬太郎丈 森田屋彦太郎
「連獅子」                       
    萬太郎丈 蓮念

南座 南座新開場一周年記念 京の年中行事
當る子歳  吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎
11月30日(土)〜12月26日(木)
昼の部 「戻駕色相肩」 吾妻の与四郎実は真柴久吉
夜の部 「堀川波の鼓」 お種

歌舞伎座 十二月大歌舞伎
12月2日(月)〜26日(木)
昼の部 Aプロ 「村松風二人汐汲」 梅枝丈 村雨
    (2日、3日、8日、9日、14日、15日、20日、21日、26日)
    Bプロ 「檀浦兜軍記」  梅枝丈 阿古屋
    (4日、5日、10日、11日、16日、17日、22日、23日)
                「たぬき」          萬太郎丈 隠亡平助         
夜の部 「神霊矢口渡」  梅枝丈  娘お舟
             萬太郎丈 六蔵   
    「本朝白雪姫譚話」鏡の精  梅枝丈

「歌舞伎狂言往来」〜「お祭り佐七のいろいろ」渥美清太郎
・・・鶴屋南北が是を尾上松助 後の三代目菊五郎に当てて
鳶頭に書替へ、小糸も芸者に直したので、「心謎解色糸」
の名題で文化七年の正月、市村座で出したのが始めての
お祭り佐七です。
・・・役割は佐七が松助、小糸が澤村田之助、お房が
岩井半四郎、九郎兵衛が松本幸四郎、綱五郎が坂東三津五郎
なぞといふ当時の人気者ぞろひだから大当たり、取分け
佐七は大評判で、音羽屋の家の物になつた。田之助の小糸も
大凝りで、毎日殺しの場に縮緬の小袖を血糊で汚してしまひ、
毎日衣装を取替へて出た。その血糊の小袖を巽芸者が買つて、
座敷に着て出るといふ騒ぎだつたさうだから、余ツ程評判
だつたと見えます。
・・・明治四年の正月になつて、五代目菊五郎が祖父張
(ぢぢいばり)の佐七を見せた。名題は「本調糸音色」と
いふので音の字は無論音羽屋当込みです。・・・筋も三代目
のと同じで、只相手の小糸が足を切つた田之助だつたから、
成るべく小糸を座らせて置くやうに少し直してありました。
彦三郎は半時九郎兵衛を附合ひ、五代目も中々巧く演つて
居たが、何と言つても当時の人はモウお家の重宝色紙の
詮議には倦々(あきあき)したと見え、筋が散々な不評判で、
お蔭と五代目の芸まで余り喝采と言ふ譯には行かなかった。
 大芝居にはそれツ切り出なかったけれど、緞帳には稀
(たま)にやァ見せた事もある。珍らしい狂言なら何処へ
でも駆つける老生(わたくし)は深川くんだり迄足を
運んで、高麗三郎の佐七なぞを見た。台詞も昔通り古臭く
やつてゐたんで、馬鹿に嬉しかつたつけ。
 地内の河竹が亡くなる二三年前、丁度奠都(てんと)
三十年祭のあつた明治三十一年の五月に、従来の奴を
書きかへ、当時に合ふやうにして菊五郎に歌舞伎座で
やらせたのが、ちか頃やつてゐる「江戸育お祭佐七」
なんです。一番目は團十郎の岩藤、菊五郎のお初、秀調の
尾上で鏡山。中幕は活歴の仲光で、見物大茹(おおうだ)
りの後へ、屋台囃子で此二番目だから素敵に引立って、
評判も極好い方。小糸は今の梅幸が栄三郎時代、倉田伴平
と鳶頭勘右衛門が市蔵、母のお鐡が松助、巴の三吉が今の
羽左衛門が家橘時代でした。絞りの浴衣に盲縞の腹掛、
股引、手拭を喧嘩かぶりにして、花道から駆け出してきた
姿は、まだ眼前にチラついてゐますね。書置を読む所
なんざァ祖父の三代目そつくりだ、と私よりも年上な
老人が話しましたつけ。不思議ぢァありませんか。
  渥美清太郎「歌舞伎狂言往来」1927年発行

広重、三代目豊国 「双筆五十三次〜日本橋」

 

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